現在の海軍編制と基地(上)

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東海艦隊:司令官権相浩中将?/司令部:咸鏡南道楽園郡所在

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西海艦隊:司令官?/司令部:南浦直轄市所在

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東海艦隊:10個戦隊/西海艦隊6個戦隊

■現海軍編制の基礎

 帰順者金일범(97年7月9日付時事ジャーナル)のインタビュー内容を見れば、北朝鮮海軍は、艦隊−戦隊−編隊−中隊体制を取っているという。

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艦隊戦隊編隊中隊

 金イルボムのインタビュー内容(1997)や、1988年版以降の国防白書に登場する北朝鮮海軍編制には、基地に対する言及が全くない。即ち、金イルボムの証言に出てくる編制は、『北韓軍事論』(1978)や『防衛叢書』(1986)に現れた基地を主とする編制(艦隊−基地−戦隊−編隊)とは差異がある。

 この差異をどのように解釈すべきか?最近の資料において単純に「基地」が漏れ落ちた可能性もあり、そうでなければ、80年代中葉以降、編制改編が起こったこともあり得る。

 万一、編制改編が起こったのだとすれば、その改編は、いつごろ起こったのだろうか?金イルボムは、1993年に北朝鮮海軍から除隊したことにより、少なくともそれ以前に既に編制改編が起こったのだろう。また、1988年国防白書は、西海艦隊が5個戦隊、東海艦隊が8個戦隊と紹介していること から、『防衛叢書』(1986年)の4個基地+20個戦隊とは大きな差異がある。2年だけで戦隊の半分程度がなくなったとすれば、単純な戦隊統廃合ではなく、全面的な改編が行われたと推定するのが合理的である。従って、編制改編の時期は、80年代中葉まで遡れるようである。

■艦隊の現況

 海軍総司令部傘下には、2個艦隊がある。東海艦隊は、楽園(旧地名退潮)に司令部があり、西海艦隊は、南浦に司令部が位置している。

 金鎰浮ェ海軍司令官に在任した当時、東海艦隊司令官は、権相浩中将、西海艦隊司令官は、金允心上将と知られている。金鎰浮ニ金允心の昇進以後、両艦隊司令官の人的事項は明らかでない。一部資料では、海軍司令官金允心が西海艦隊司令官も兼任していると出ているが、確実とはいえない。

 西海艦隊司令官の階級が東海艦隊司令官より高い点は、多少特異だが、北朝鮮軍人の人的事項が余り公開されない点を考慮すれば、これは、公開時期に従った階級の差異なのかも知れない。実際、艦隊規模の面では、東海艦隊が西海艦隊より1.5倍近い戦力を持っている。

 1988年最初に発刊された国防白書では、北朝鮮の西海艦隊が5個戦隊、東海艦隊は、8個戦隊で構成されたものとして出ている。1989年版国防白書は、西海艦隊が5個戦隊、東海艦隊が1個戦隊増加した9個戦隊として出ている。93〜94年国防白書には、総戦隊数が16個で、西海艦隊が6個戦隊、東海艦隊が10個戦隊として出ている。以後、最新版である国防白書2000年版まで北朝鮮海軍の戦隊は、計16個として変化がない(米国防情報庁北朝鮮軍事力報告書91/95年版、米議会調査局国家研究北朝鮮編93年版に出てくる北朝鮮海軍の戦隊数は、全て過去のものである。)。

 国防白書99年版を基準とした艦艇保有数量は、西海艦隊が420余隻、東海艦隊が570余隻である。

 北朝鮮海軍は、何よりも地理的に東西の海に両分され、両艦隊間の戦力交換が自由にできないことが重要な弱点と指摘される。

■戦隊の現況

 国防白書を通して、我々は、北朝鮮海軍の戦隊が計16個という事実と、西海艦隊に6個戦隊、東海艦隊に10個戦隊が所属する事実を知ることができる。

 90年代中葉以降、各種マスコミ報道を通して、単体ナンバーを確認できる北朝鮮海軍の戦隊は計8個である。今まで公開された資料によっては、戦隊別に主保有艦種がある程度区別されている。しかし、個別戦隊が独立作戦が可能な混成編成部隊なのか、さもなければ、同じ艦種同士を集結させた単純な行政管理部隊なのかは確実ではない。しかし、全体的な配置状態、金イルボムの証言等を総合してみれば、現在の北朝鮮の戦隊(特に警備戦隊)は、基本的に各駐屯位置から独立作戦が可能な混成編成部隊と判断される(筆者の推定)。

 例外的に相当数の魚雷艇とミサイル高速艇の場合、同じ艦種同士を集結させ、別途の戦隊に編成しているようである。下で別途に説明するが、潜水艦も水上艦艇と分離して、別途の独立した戦隊に編成するのが海軍編制の常識だが、北朝鮮の場合、水上艦艇と潜水艦を同一戦隊に混成編成する変則的な編制を取っている可能性も排除できない。

 各戦隊や海軍基地別戦力の規模は明らかでないが、南浦と元山以南に海軍艦艇の2/3が前進配置されているという。筆者の推定としては、各戦隊は、概ね45隻内外の艦艇を保有するようである (☞筆者の推定数値、推定の根拠は、下の項目参照)。

 北朝鮮の海軍基地は、14〜20余個程度と推定され、主力基地である南浦、沙串、元山の場合、2〜4個戦隊が集中的に配置されたようである。『金正日大図鑑』の北朝鮮戦隊配置図も、そのような推定 から大きく外れていない。下の資料は、日本の資料である金正日大図鑑の戦隊現況と国内マスコミに報道された戦隊名を整理したものである(詳細な結論導出過程と出所は、1-4編1-5編を参考のこと)。

  基地名 戦隊の配置(金正日大図鑑) (韓国マスコミ)
西海艦隊 平安北道(多獅島) 警備戦隊1個 12戦隊
西海艦隊 南浦直轄市 警備戦隊1個、ミサイル戦隊1個 11戦隊
西海艦隊 黄海南道琵琶串 (分遣基地)
西海艦隊 黄海南道椒島 (分遣基地) 9戦隊
西海艦隊 黄海南道沙串 警備戦隊2個、魚雷戦隊1個 7、8戦隊
東海艦隊 羅津先鋒開放区羅津市 (分遣基地)  
東海艦隊 咸鏡北道(漁郎〜化成付近) 警備戦隊1個  
東海艦隊 咸鏡北道金策 警備戦隊1個  
東海艦隊 咸鏡南道遮湖 警備戦隊1個  
東海艦隊 咸鏡南道遮湖と新浦の間 (分遣基地)  
東海艦隊 咸鏡南道新浦 警備戦隊1個  
東海艦隊 咸鏡南道馬養島 (潜水艦隊司令部)  
東海艦隊 咸鏡南道楽園(退潮) 駆逐戦隊1個 3戦隊
東海艦隊 咸南?江原?松田半島 (分遣基地)  
東海艦隊 江原道元山、文川 警備戦隊1個、ミサイル戦隊1個、魚雷戦隊2個 13戦隊
東海艦隊 江原道(長箭) 警備戦隊  

  既に説明したように、両資料は、完全に一致していない。対応関係が比較的明白なのは、7、8、12戦隊である。金일범は、7、8戦隊が全て北方限界線付近に駐屯していると 語ったが、これは、『金正日大図鑑』の沙串に駐屯する2個警備戦隊に該当する。金일범が勤務していた第12戦隊は、『金正日大図鑑』の多獅島警備戦隊に該当する。金イルボムは、第12戦隊に所属する12個編隊中9個編隊が上陸艦艇(空気浮揚艇と南浦級) と語ったことによって、第12戦隊は、沿岸哨戒艇(PB)や沿岸警備艇(PC)と上陸艦艇が混成する戦隊と考えられる。

 楽園の3戦隊、南浦と琵琶串の11戦隊、元山、文川の13戦隊の場合、国内マスコミ報道では、潜水艦を保有する戦隊だと報道されたが、『金正日大図鑑』では、楽園には駆潜戦隊、南浦には警備戦隊、元山、文川にも警備戦隊が駐屯していると出ている。筆者の推定としては、これら戦隊は水上艦編隊と潜水艦編隊が混成する戦隊だと見られる。

 9戦隊の場合、椒島に駐屯しており、第8戦隊戦力の2倍であり、ミサイル高速艇を保有していると報道されたことがある。この9戦隊は、恐らくは『金正日大図鑑』に登場する南浦ミサイル戦隊(ミサイル高速艇戦隊)と関連があるようである。

 李광수が勤務していた第5戦隊の場合も、潜水艦を保有していた戦隊と推定されるが、正確な駐屯位置や現存の可否は確実ではない。この5戦隊も、 恐らく水上艦と潜水艦が混成する戦隊と推定される。

(下の地図は、概略的な位置を表示したもので、正確なものではない。本文の説明と地図での位置が異なる場合、本文の説明がより正確である)。

北朝鮮海軍戦隊配置図



■海軍の教育/訓練機関

 北朝鮮海軍の基本的教育機関としては、金正淑海軍大学がある。金正淑海軍大学の根は、1946年6月咸鏡北道羅津に設置されていた「水上保安幹部学校」に遡る。1947年7月「海軍軍官学校」に改称された。それ以後(年度未詳)「海軍大学」に名称が変わったが、1993年7月 、「金正淑海軍大学」に名前が変わった。元来の位置は、羅津だったが、1973年3月現位置である咸興市麻田里に移転した。

 金正淑海軍大学では、軍官養成課程と補修課程を同時に担当している(脱北者出身である金イルボムは、軍官養成課程を高等班とし、 補修課程を大学班と呼ぶと証言した。)。即ち、北朝鮮の 金正淑海軍大学は、韓国海軍士官学校と海軍大学の役割を同時に遂行している。軍官(将校)養成課程は、戦闘兵科の場合4年、技術兵科の場合5年制である。他の軍事大学と同じように金正淑海軍大学の軍官養成課程新入生は、民間人ではない3年以上服務した士兵中から選抜するのが原則である (更に言えば、入隊して直ちに将校になることはできない意味である。)。補修課程は、現役海軍軍官を再教育する課程である。各証言を参照してみれば、艦艇班、職務別専門課程、高等軍官課程(3年)、高級軍官補修課程(1年)等、多様な教育課程があるようである。補修課程履修後には、1段階上位補職任用又は1階級進級等の恵沢が与えられる。下の写真は、北朝鮮海軍節(6月5日)に金正日が金正淑海軍大学を訪問して撮った記念写真である。


 1970年代の海軍大学には、航海学部、砲術学部、水雷学部、通信学部、機関学部、政経学部、水路学部、水物学科、戦術学部、外国語学部、一般軍事学部等、11個学部があった。この外に、教育戦隊1個と航海中隊、砲術中隊、水雷中隊、通信中隊、機関中隊、警備中隊等が編成されていた。

 一般士兵教育機関としては、海軍技術訓練所がある。70年代当時には、羅津に位置したが、現在の位置と現在の正式名称は不確実である。海軍技術訓練所は、海軍新兵訓練を履修した兵士が入校し、航海、機関、砲術、水雷、通信、水路等、5個学科で該当専門教育を受けるところである。

■海軍に所属する特殊部隊−海上狙撃旅団(参考資料:North Korean Special Forces 1998年版/公開書籍)

 海上狙撃旅団は、海軍基地襲撃、上陸先導任務等、韓国UDT/SEAL、海兵特殊捜索隊を結合した海軍所属の特殊部隊である。

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海岸地域に位置する核心的施設に対する掌握、破壊

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海岸地域側方包囲を通した地上軍進撃作戦支援

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地上軍部隊の上陸作戦のための橋頭堡確保及び統制作戦

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正規軍部隊の渡河作戦支援及び海岸地域に対する正規軍作戦支援

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韓国の戦略的後方に第2戦線形成

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その他偵察及び特殊作戦

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韓国の特殊作戦に対する防御

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北朝鮮海軍基地に対する防御及び対上陸防御作戦支援

 

部隊名 駐屯地 任務 備考
?海上狙撃旅団 元山 東海艦隊支援 NKSP98
29海上狙撃旅団 平北東林郡 (金)、ハッケ?(N) 西海艦隊支援 NKSP98、 金イルボム96

※海上狙撃旅団の単体ナンバーに対して、NKSP98や崔スンチャンの証言には、いかなる言及もない。前西海艦隊服務経験者である金일범の証言では、西海に配置された海上狙撃旅団が平安北道東林郡に駐屯中である第29海上狙撃旅団だという。

 BurmudezのNoth Korean Special Forces 1版(89年版)には、水陸両用軽歩兵旅団(Amphibious Light Infantry Brigade)が登場する。この部隊が海上狙撃旅団の前身なのか、さもなければ、全く別個の部隊なのかは、良く分からない。確実なのは、水陸両用軽歩兵旅団は、海軍所属ではないことである。海上狙撃旅団の外に海軍陸戦隊が存在するのも、依然疑問である。80年代以降、脱北者の証言中にも、「陸戦隊」に対して言及した例が 少なくないためである。この陸戦隊が海上狙撃旅団を意味するのか、さもなければ、別個の陸戦隊が存在するのかは、良く分からない。

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最終更新日:2003/05/25

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